中国語「ピンイン」の父ー周有光氏を悼む

 中国語に少しでも触れたことがあれば、おそらく「ピンイン」というものを知っているだろう。「ピンイン」というのは、いわゆる中国語の読み方を表す符号のことである。中国語そのものの歴史は長いが、ピンインの歴史は実はまだ五十年ぐらい。

 

 ピンインを使用するようになる前、中国漢字の表音符号として形が日本語のカタカナに似たようなものが使われていた。1958年に、ピンインという新しい表音符号の導入が正式決定され、辞書では今でも両方の表音符号を記しているが、学校教育ではピンインのみ用いるようになった。

 

 ではこの「ピンイン」は、どうのようにして誕生したのか。今の中国建国後、国民の識字率はまだまだ低かった。その識字率向上などを目的に簡体字推進とともに、新たな表音符号ーーピンインが作られた。

 

 主導的な役割を果たしピンインづくりに大きく貢献したのは、「中国語ビンインの父」と呼ばれる周有光氏である。1906年1月13日生まれの周氏は、若い頃日本に留学。ピンインづくりにヒントを得たのは、なんと日本語のローマ字表記からなのである。

 

 いうまでもなく、ピンインの誕生は、中国自国民識字率の向上にだけではなく、外国人にとって中国語学習の敷居がひくくなり、中国語普及への貢献は計り知れない。

 

 古い中国から日本は漢字やひらがなをもらった。その何千年後に今度中国は日本からピンインづくりに大切なヒントを得た。これこそ文化交流というものではなかろうか。

 

 周有光(しゅう・ゆうこう)氏は、今年1月14日北京で逝去した。先人たちの思い、築き上げてきたもの、残された私たちはそれをどう受け継いでいけばよいものか、少し考えてみる必要があるかもしれない。

 

 余談だが、台湾では今も形のカタカナ似の表音符号を用いているが、海外からの留学生に中国語を教える場合、学生の希望によって、ピンインを教えることもあるという。